故平沢委員長の日記!


 ところが、昭和三十八年、宗門の方針により、各寺院ごとにある法華講支部を統合して連合会をつくり、登山会をはじめ、諸々の信徒の活動を統括することになったとき、元妙信講の動きが再び問題化しました。故平沢委員長はじめ連合会幹部が、元妙信講に対し、連合会に合流するように促したのに対し、浅井父子はかたくなに拒んで勝手な行動をとりつづけたのであります。宗門としても、元妙信講が浅井父子の誤った指導方針で、正しい信心の道をはずれて行くことを危倶し、連合会傘下におさめて正しい信心指導をすることを要望していました。従って、故平沢委員長らは浅井父子の説得に、大変な努力をしたのであります。

 これに対し浅井父子は、まるでエゴむき出しの手前勝手な理屈をこねて低抗し、法華講内を混乱させ続けました。

 ここに、当時のいきさつを物語る重要な証拠として、故平沢益吉連合会委員長の日記風メモ帳があります。宗務院ならびに御遺族の許可をいただいて、元妙信講に関する部分を一部掲載します。
(注・メモ帳の掲載文中、〇になっている伏字は、原本の判断不可能な個所です。編集部)


 故平沢益吉委員長のメモ帳より

   妙信講問題

 三九年三月下旬、袴田、本多、鶴見三君、浅井甚兵衛宅を訪問。
 五月三日小島富五郎、名和郁郎両君、再び浅井宅を訪問。

  浅井昭衛の連合会に対する批判
一、連合会は一昨年八月結成当時と同様に単一講中の連合体で国際連合と同じである。(時代の変遷を知らず現段階の実情を何等解せず。)

二、従って連合会の打出した指示方針に対してはすべてを受け入れると言う事は出来ない。
 イ、御本尊下附願は受け入れられる。
 ロ、総登山は受け入れられない場合もあり、体育大会等は受け入れられない。

三、連合会に迄入ってどれだけの(+)の面があるか。程度の低い者達とは一緒になれない。

四、運営の面に於ても未熟である単一講中を引張ってゆくべきもので妙信講とは違う。

五、会長には指導権はない。右か左かは論議されて決定すべきである。

六、登山御開扉が出来なければ、妙信講は三門の前で拝して帰る。



  破折


一.連合会は毫も主権を侵害せず。

二.連合会の規約のもとに指示を守れと言うのである。

三.広宣流布の大願成就という大聖人の御遺命達成を目的として、ひたすら大御本尊様を中心に法主猊下の命ずるままに異体同心のもと大きく団結して広布への戦を進めるものであって各講中は、その目的は一である。従って各自利害を異にした単一体の集りではない。妙信講は之を理解する能力がない。連合会は自分自らの主権を冒涜し、自らを異物的存在ならしめんとしておる実情を反省せしめんとするにほかならない。

四.未熟な講があるならば、大きな手を展げて之を援助育成し、広宣流布への同志を強固にしてやるべきで、之こそ異体同心の誠をつくしたと言うのである。独善的に鎖国的に更に亦、排他的行動はゆるさるべきではない。

五.会長は昨年、会長御任命以来少なくも法華講を連合会に総括し大きな団結として誘導指導すべきものと信じている。

六.一、二の講指導者の私見偏見によって多数の講員を不幸にし、惑わす者と考える。



  妙信講問題

 三九年七月二二日午後二時
 妙信講浅井昭衛君来訪六時まで頑張る。日く、行政上の問題から御開扉を差しとめるとは権力乱用だ。

 余は「さに非ず」一妙信講の勝手な振舞を、これ以上我慢する事は出来ない。連合会に、全て全面的に協力すべきである。然るに今迄の連合会の行事に対する行為はすべて反協力的ではないか。先日の理事会の後でも日曜日一杯に(既に九日を過ぎた今日まで)回答する約束であるにも係らず今日まで回答がないではないか。尚○○は登山の諸事項は決定されて各支部登山部長に連絡済みである。

 彼日く、協力の限界を考慮して貰へまいか、即ち、御供養とか、登山とかは会長の言はれる通りにして猊下への御奉公はするが、其他の事は講頭以下3・4名が代表して参加することで認めて貰いたい。末端の者を色々な行事に出したり、青年部を連合会の青年部へ参加させる事は切角大きく前進しておる講中に動揺を来たすので妙信講の指導訓練はこのままにして貰いたい。弱小の講中の指導訓練は連合会でやって貰いたい。

 余は彼の勝手な希望に対し総体的に反ばくし、かかる事は応ずる事が出来ぬ。全面的の協力以外にはない。吾々は本当に異体同心の実を以て広布へ前進する責任がある。自分達の講中だけが思ふままに前進し、他の講中の後れておるものの面倒は連合会の他のものの(特に幹部の)仕事にして貰いたい等と言う事は、連合会の根本精神に反する。

 彼日く、連合会のことを忠実にやれば前進は出来ない。本行寺辺りはこの意味で折伏等が退歩しておる。だから妙信講の特別事惰を許して貰いたい。

 余日く、連合会中に於て特別事情を許した上での協力を認める等とはもっての外である。ある場合場合に即して理事会が納得、承認した場合ならともかく、全面的協力でなければならない。然る上に於て自ら八月総登山の事も解決し、連合会の意義も法華講の意義も共に○解されるのである。

 彼日く、全面協力は即ち無条件降伏である。それでは妙信講講員に破たんを来たす因をなす。だから条件を認めた上での協力と言う事に願いたい。

 余日く、何回も言うておる通り、ある条件を認めての協力を以て許容する事は、全連合会の組織の動揺を来たすもとであるが故に全面的に連合会の一員として参加する事に踏み込んで呉れぬ限り何処まで話しても時間をとるばかりで無駄であるから之で打切りにしたい。

 最後に彼は執拗に「浅井が宗務院に向って御開扉をお願いしようとする場合に会長は妨害するか」と問い詰めてきたのに対し、余は連合会の総登山をおいて御開扉をお許しになる様な事はあり得ないし亦、絶対にないと確信する故に妨害する事など○へない。




  妙信講問題

 三九年七月二七日
 午後二時妙縁寺御住職松本御能化、妙信講浅井父子の三名、私宅を訪問さる。

 父子日く、今迄の事は全部何も言はずに、
一、唯これからは妙信講は連合会に協力しよう。

二、八月登山を認めて貰いたい。以上、之が為に頭を下げて来た。

 併し話の内に数々本音が出て来て、御供養や登山は連合会の方針に従って猊下に御奉公をする。連合会大会とか体育大会等の連合会の行事には妙信講の末端員を動員することはやめて四〜五名の代表者を出すことで認めて貰いたい。妙信講青年部を連合会青年部と共に活動させる事は困るから之も除外して欲しい等々。

 依って余は彼等の言う連合会へ全面的協力なる事は甚だ疑はしいので緊急に臨時理事会を開き検討して決すべしと申し渡す。


  備考

 二七日の会談中の一こま
「純信な妙信講員は権力によって登山を差しとめられたならば、血気さかっておる講員はいきり立って血を見る様な事態が起こらぬとも限らぬ」(浅井講頭の発言)

 三九年七月三十日午後六時より妙縁寺にて緊急臨時理事会開催。
 満場一致、次の如ぎ決議を行ふ。


  決議事項

一、今後無条件で東京地区連合会の組織信心活動に従はなければ登山等の問題は受け合う事は出来ない。

二、現在の講頭及中核の幹部が前非を悔いて反省するならば妙信講に対しては連合会は何等他意なき事を附言する。以上

 出席理事全部署名捺印を行ふ。之を書面として妙信講浅井甚兵衛講頭並びに妙縁寺住職、法道院主管に発送することに決す。





 通常連合会理事会 

 妙信講問題

 
 七月三十日妙縁寺に於ける緊急理事会の決議事項が発せられてから浅井父子は、妙縁寺住職松本尊能化と共に登山、猊下にお目通りし、八月総登山日以外の日に登山を懇願した様子なるも猊下は『法華講の決定された以外の日の登山は許さず、今後全面的に連合会に協力して連合会の登山に登山する様、会長に頼みなさい』とのお話があった。
(猊下より電話で「今浅井等三名が登山して会ったが、数回に亘り全面的に連合会に協力せよと言うてあるから八月の法華講登山日に妙信講も一緒に登山させてやってほしい。万が一、今後非協力な事があったら、その時は、わしは口をきく様な事はせぬから会長の権限のもとに処理したらよかろう」とのお言葉があった。更に「理事も今一人しか出ていない様だから之を増して共に進んで貰いたいとお付け加えになった。」)(念のために記載しておく)

 八月の総登山も無事故完了したので妙信講の処遇について協議。妙信講は全面的に協力する事に決したので役員増加をしたいとの議案を○出した所、役員間に色々の反論等あり、妙信講浅井父子から亦いつもの通りの妙信講の特殊性?(父子日く、日淳上人より現猊下、総監列席の所で折伏の講中として日蓮正宗法華講妙信講支部として他の講中とは異なった独自の立場で認証されて出発した)を振りかざして譲らず、理事を三名にせよと要求(註、東京地区連は内規に於て大寺は理事三名、他は一名の理事とされ、妙縁寺は既に、佐藤、山本、浅井の三名選出さる)結局会長一任となる。依って会長としての腹案として妙信講より理事二名幹事二名を出したらという案を出し、更に検討する事にした所、浅井父子はあくまで自分等の特殊性をかざして大寺なみの三名を固執してやまぬ為、会長としてば妙信講の性格等につき浅井父子の言う点につきスッキリせぬ点があるため、一応宗務院に問い合す必要ありとて回答をみるまで留保する事にする。

 後で浅井甚兵衛氏の挨拶あり。






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元妙信講問題について