昭和三九年九月十六日附(公文書)
       宗務院庶務部長早瀬道応
 法華講全国連合会会長平沢益吉殿
 九月十四日付書翰拝見いたし妙信講の件について左の通り御回答申し上げます。
  記
一、本宗においては「おあづけ講中」という制度はありません。
二、本宗ではすべての講中が寺院に所属しており、妙信講は現在妙縁寺所属の講中と認めております。
三、他の法華講支部と異っていません。本宗にあってはすべての講中を平等に取扱っております。
四、宗制に則った講中として認めております。
                            以上
 三九年九月二四日
 臨時役員会(理事会)
 常泉寺に於て行う。浅井父子、佐藤等出席。公文書により協議。
 今迄松本能化は指導教師であるとは言っていたが、妙縁寺所属であるとは遂に言った事がないが公文書の手前妙縁寺に所属すると称するに至ったにも係らず尚妙縁寺支部の法華講ではない独立した法華講支部であるとの矛盾した説をとなえ、あくまで他の法華講とは異なると言い、現在の妙縁寺法華講支部とは一緒にはやれぬと議事進行に協力せず初め○○題は一時間で解決する予定なりしも遂に二時間に近くなり、結局何時も同じ様に初めに戻っては同じ事を繰り返し、何等浅井父子は問題の前進或いは和協の誠意なく、徒らに時間を遅延しているにすぎざる事を認め、茲に、連合会と妙信講は今迄の数回に亘る会議も効なく浅丼父子の不誠意のため、妙信講は浅井父子のもとに連合会に参加せざる団体であり、連合会は浅井父子の率いる妙信講を含まざる全国法華講支部を網羅した法華衆の大集団である事を確認して閉会する。
 このメモ帳の克明な記録を見れば、当時の浅井父子の身勝手な行動は、一目瞭然であります。
 その中にもあるように、“いつも同じ様に初めにもどっては同じことをくりかえし、問題の進展、前進或いは和協の誠意なく徒らに時間を遅延する”というのが浅井父子のいう「論議」であり、自分の主張は絶対ゆずらず強情にしつこく繰り返し、一旦話合いのついたこともむしかえして、相手を辟易させることを常套手段とすることは、今日も変っておりません。又、興味深いのは、“血気にさかっておる講員はいきり立って血を見るような事態が起らぬとも限らぬ”(三九年七月二七日備考)という浅井の発言です。
“云い分を通さなければ、集団暴力を振るうぞ”というのは、一貫して用いられたおどし文句でした。そのあげく、学会本部になぐりこんだわけです。この、暴力団まがいの“最後には血をみるぞ”という、文句が、元妙信講の体質のすべてを物語るものです。
 このような、暴力を背景にした圧力と横車に対し、毅然として戦い抜いたのが、故平沢委員長でありました。これに対し、浅井父子は、卑劣な個人攻撃をはじめたのです。
 昭和四十年三月、浅井甚兵衛は猊下に対し、嘆願書を提出しましたが、その中で故平沢委員長のことを、“信仰の確信もない指導者であり、こんな者の指導を受けられない”等と中傷攻撃しました。これに対し、さすがの猊下もあきれはてて、この嘆願書をつきかえされました。この経過についても、メモ帳には、次のように記録されています。
   妙信講に関して
 昭和四十年七月三一日
             日蓮正宗宗務院
 法華講全国連合会会長平沢益吉殿
 今般、先に妙信講講頭浅井甚兵衛氏より法主上人猊下へ提出せられた歎願書について七月三十日院議を催した結果、本日附を以て別紙書簡(写)と共に該歎願書を浅井氏宛に返却いたしましたから御了承下さい。右御通知いたします。
                  以上
  
  (別紙書簡(写))
 昭和四十年七月三一日 
            日蓮正宗総監 柿沼広澄
 妙信講講頭浅井甚兵衛殿
 今般七月三十日宗務院において貴講中の件について院議を開催し、種々検討いたしました結果、去る三月八日付にて法主上人へ御提出の歎願書を左の理由によって返却いたします。
  記
一、法主上人猊下に対し奉る歎願書としては、その言辞に甚だ不穏当の点があること。
(法主上人の御任命せられた連合会長を、「信仰の確信もなき指導者」として嘲弄されているが、これは法主上人を侮辱する言辞である。)
二、貴講中に関する宗務院の見解は、去る三九年九月十六日付の連合会長宛の回答と変りはない。
三、法華講連合会は宗制宗規に則った日蓮正宗法華講であり、而して法主上人御認証せられた規約によって法華講の一本化による発展を期して運営せられている。従って連合会の活動と運営とは宗門の基本方針である。貴講中は、この宗門の基本方針たる連合会に当然加入して、その発展に協力せらるべきであるが、若し、あくまでも連合会への加入を拒むならば妙縁寺所属の一単独講中として運営すればよろしいと思ふ。
                  以上
(この文書の控は、宗務院に現存します) 
 とにかく、自分達のエゴのために横車を押し、容れられなければ暴力をちらつかせてしつこくくい下り、当面の相手に対しては、文書配布をはじめあらゆる方法で個人攻撃をする、デマや歪曲の宣伝をくりかえす、というやり方は、この頃から一貫していたことが明らかであります。こうした元妙信講のやり方が、法華講及び檀信徒の本来のあり方から、大きく逸脱していることは云うまでもありません。ちなみに、六十五世堀米日淳猊下は、講中の弊害について「何故かといふならば講中は形式に於て宗務院より認められた公の団体であり直接辞令を受けますから稍ともすると全く独立したものの如く考へて其の行動は他から制肘を受けることなく自由なものと解されるのであります。其れ故地方教師の指揮は一向に重ぜられないやうになり甚しきは末寺を無視するやうな態度になるのであります。
 
 此れは講頭が教師であるといふ誤解から認可の場合宗務院からの辞令が直接の関係を生じたものの如く思はしめるからでありませう。此処に後者の関係に就いて一言しなければならないのであります。昔は講中に対し本山より辞令が出づるのは一切内事部の取扱ひであったと聞きますから其の場合は本山との関係は直接であったと考へられます。しかし現在では宗務院扱でありますから講中なるものは認可によって決して直接関係が生ずるものではありません。必らず、末寺を差し挾さんでの関係であります。更に宗務院との間もそれと同じであります。此のことは申請の手続を見れば一目瞭然たるものであります。それならば何故に講中が存在し之を公に認可するのであるかが又問題となるのであります。
 当門には講中制度に対する具足した制度はないのであります。唯従来の習慣の上よりする不文律でやってゆくのであります。従って是々と規定された講中の機能と取扱ひはありません。それならばどういふ訳で講中ををいてきたかは私は知りませんが而し唯私一個の考へは最初に述べた通りであります。或る論者は講中をもって無意義であるとして無用論を唱ふるものもあります。又一歩進んで却て講中の存在するが為に幣害のみ生ずるといふ講中有害論者もあります。けれども講中なるものは最初から宗門に或る政治的の意味目的をもって進んできたものでなく信仰本来の要求からきたものであると考へますから別に特種の権利が認められる必要がないと思ひます。若し要求するならば誤っておるといへませう。……
 以上によっても講中が末寺を離れた独立団体でなく必らず附属したものである筈であります。故に又末寺に監督の義務があるのでありますから本来は講中はその内規から仕事まで一々末寺教師に相談すべきであります。
 已上講中制度に就いて一言したのでありますが、繰り返していへば講中は本来信仰上大きな意義と価値とをもってゐますが自体功利的でないものを稍々もすると誤て用い易いのであります」と述べられて厳に戒められております。暴力を背景に横車の押しっ放しでやってきた元妙信講の行動は、どの一つをとっても、この禁にふれていることはだれの目にもあきらかであります。
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元妙信講問題について