さて、この“第一回正本堂建設委員会”における日達上人の御言葉に関しては、顕正会の書籍の殆どで浅井会長は触れております。



顕正会の歴史と使命  45ページ

「学会・宗門」抗争の根本原因  79ページ

なぜ学会員は功徳を失ったか  38ページ

「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」  20ページ

日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ  151ページ




顕正会「試練と忍従」の歴史  53ページ

「正本堂」に就き宗務御当局に糺し訴う  富士第139号30ページ




御遺命守護の戦い  12ページ

「最後に申すべき事」  21ページ



既に皆さんお気づきのことと思いますが、実は浅井会長はこれだけの書籍でこの“第一回正本堂建設委員会”における日達上人の御言葉に関して触れておきながらも、その内容に関しては、その時々の自分の立場によってその評価を二転三転しているのです。

上の“顕正会の歴史と使命”〜“日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ”に関しては日達上人はでこの“第一回正本堂建設委員会”において“正本堂を御遺命の戒壇と言った!”としております。

しかしながら次の“顕正会「試練と忍従」の歴史”と“「正本堂」に就き宗務御当局に糺し訴う”においては日達上人はでこの“第一回正本堂建設委員会”において“正本堂を御遺命の戒壇と言ってない!”としております。

更には、“御遺命守護の戦い”と“「最後に申すべき事」”においては“言ったとも取れるし、言ってないともとれる曖昧な内容だった”としております。




これはどういったことでしょうか?



実は“第一回正本堂建設委員会”における日達上人の御言葉を“御遺命破壊した内容では無い!”としているのは、妙信講(顕正会)が正本堂の御供養に参加したことをとがめられたときの言い訳の時に使用しているのです。

また、それを鋭く指摘された破折班の破折書への返書である「最後に申すべき事」においては玉虫色だったと苦しい言い訳をしているのです。


このように自身の立場の変化を元に、御法主上人猊下の御言葉を180度相違する内容に書き換える浅井昭衛という男の発言を何時まであなた方は盲信してついていくのでしょうか?

早く気付くべきです。




それでは真実はどうなのでしょうか?


まずはこのような二枚舌の男の発言などあてにせず、実際に自分で原文を読んでみて下さい。

http://www5.ocn.ne.jp/~tochirou/daiikkai.htm

↑ここに原文を載せてあります。



更に今度は上の書籍の書かれた時代を考えてみて下さい。この中で妙信講が破門される以前に書かれたものは“「正本堂」に就き宗務御当局に糺し訴う”だけなのです。そうです、先日私が内容を紹介したアレです。

破門以前…、妙信講がまだ正式な講中だった時の文章ですから、そこには何も余計な思慮(自分の立場〔破門されたこと〕を正当化する文章)は入っていないことは明確です。そこに着目して下さい。

そして、これが事実なのです。



今回のビデオにおいても、数年前の「最後に申すべき事」では“ハッキリと黒!”とは言わなかったものを、今度は平然と「細井管長は正本堂が御遺命の戒壇に当る旨を述べた」とまたひっくり返す…、この浅井昭衛の統一感のない発言を顕正会員はよくよく真摯に受け止め、一日も早く私達に連絡を取られることをお勧めいたします。







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元妙信講問題について